同期会

今日の天気 雨のち曇り


(1) [同級会に思う]
「私の個人的な事情なのだろうか。60歳を超える頃から急に学校時代の同級会が多くなった。誘いがよく舞い込んでくる。
みんなが時間にゆとりをもつようになった。年を取ってさびしくなった。いけ好かないと思っていた仲間に対しても「まあ、いいか」こだわりが薄くなってくる。会ってみたくなる。後略」[阿刀田 高(作家)]




(キバナコスモス)




















(2) 猛暑日の続いていた7月。
「高校を卒業してから半世紀、50年の月日が過ぎ去りました。光陰矢の如しの感もあります。母校で過ごした3年間の思い出は、それぞれの胸の中の引き出しにしまいこまれた貴重な宝物なっていることでしょう。
節目となるこの年に同期会を開催し、旧交を温めることにしました。
しかし、誠に残念ですが50年を一つの区切りといたしまして、この同期会を終えることにしました。
どうぞ、皆様多数のご参加をお待ちしております」。
という同期会の案内書が遠い北海道の故郷から送られて来ました。開催は9月です。
今回の同期会を逃したら同級生には二度と会えなくなるのでぜひ出席したいと思いましたが、体調がすぐれずやむなく出席出来ない旨連絡しました。




(コスモス)




















(3) 9月末。同期会幹事から今回の同期会の出席者名簿と同期会名簿が送られて来ました。
その添え状には
「同期会には残念ながらお出かけいただけませんでしたが、同封した出席者名簿のとおり沢山の方々が駆けつけてくださり、50年前の思い出話や近況報告にと話が弾み、時のたつのも忘れて語り明かしました。高校で共に過ごした3年間の思い出は、風化することがないのだと改めて思いました」と書かれてありました。
不参加者にも同期会当日の状況を連絡してもらったことに感謝し、出席者名簿を開きました。
出席者名簿は、クラスごとになっていて懐かしい級友の名前が載っています。
A君、B君、そしてC君。みんな元気でいるらしい。
名簿が送られてきたその日。友人からメールが入りました。
この友人は神奈川に住んでいて同期会に出席した一人です。
「先週、卒業50年記念の同期会に参加してきました。
参加者は90名で先生はお一人でした。50年ぶりでの再会ですっかり人相が変わって、誰か分からない人や殆ど変わらない人と様々でした。
大広間での一次会、二次会は別室にてカラオケ、三次会は又各部屋で盛り上がっていました。
話題は矢張り健康(病気)のことで、いろいろな経験から医者なみに詳しいのには驚きました。
そんな病気を克服しての参加ですから、前向きの人達が多いですね。
翌日、運河探索と船で祝津に渡り、ニシン御殿、灯台などみた後、昼食を楽しんで名残り尽きず又の再会を誓って散会した次第です」。
楽しく過ごしたことが書かれています。お互い50年振りの再会で、その間、痩せたり、太ったり、白髪であったり、薄くなったりで50年前の美青年とは様変わりの様子がわかります。
同期会に出席しなかった僕に友人の暖かい気持ちが伝わってくるメールです。
僕は出席者の級友と一緒に一次会、二次会、三次会と過ごしている自分の姿を想像しました。




(彼岸花)




















(4) 人生80年。高校時代はそのうちたったの3年ですが、その3年間の思い出はいまだに鮮明に残っています。
年を取ってくると時間にゆとりが出来てきます。そして寂しくなり人恋しくなります。
遠い昔のことを思い出すようになり、それを喋りたくなります。同期会はうってつけの場所です。
同期会は今回が最後でみんなと会う機会がなくなったことは残念ですが、名簿の活用により新たな旧交復活の一助にして欲しいと幹事の暖かい心遣いです。
既に亡くなっている級友そして今回出席出来なかった級友にも思いを馳せ、僕の人生を作ってくれたことに感謝したいと思います。
「ありがとう」。