8月下旬、高校のクラス会の開催案内が届きました。


            『[古希の宴]クラス会のご案内

 皆様、お元気でしょうか。
○○高校を卒業してから半世紀、50年の月日が過ぎ去りました。
多感な高校時代を同じクラスで過ごしたご縁は、半世紀の歳月を一瞬にして、
飛び越える力を持っています。
人と人の網の目にように、無数の糸で結ばれていると言われています。
折に触れて思い出されるクラスの仲間もことも、古希を迎えて、
ことのほか懐かしく感じられる様になってまいりました。
そこで、節目となるこの年に、旧交を深めたくクラス会を企画いたしました。
古希を一つの区切りとして、今回のクラス会を最後とさせて頂きたいと思います。
記念すべきクラス会となりますので、多数の方の出席をお待ちしております。
[同封のハガキにより、出・欠のご返事を9月24日(土)迄にお願いします]


                   記

日時 平成23年10月23日(日) 午後6時より
会場 北海道小樽市朝里温泉  ××ホテル  参加費用など
                                        幹事』

                                  
幹事は懐かしい級友の名前が6名連なっていました。
初めてのクラス会は高校を卒業してから42年後の平成14年に行われました。
初めてのことでもあり沢山の級友が参加しました。
40年振りに再会しますとさすがに高校時代の面影はなくなっています。
頭髪がなくなっている人や薄くなっている人、白髪もいれば未だに黒髪の人もいました。
顔立ちも変わっていました。
「俺だよ、おれ」とお互いに名前を言い合い、そしてすぐに高校時代に戻れるのはクラス会だからでしょうか。
僕が住んでいる千葉県から、高校のある小樽市まで飛行機を利用すれば4時間もあればつきます。
多感な高校生、その時代を一緒に過ごした級友に会って、高校時代の思い出話に耽る幸せなひとときを過ごせる
クラス会にできるだけ参加したいと思っていました。


平成14年に第一回目が行われてから二年ごとにクラス会は開催されました。
開催するごとに参加する級友は少なくなっていきました。
僕も平成18年のクラス会が最後の参加となってしまいました。
前回は平成20年に行われたのですが、あいにくと療養中のため不参加となってしまいました。
クラス会はまだまだ続くものと思い、今度開催するクラス会にはぜひ参加したいと思っていたのですが、
今回届いたクラス会の案内内容は「今回が最後のクラス会」でした。今回の最後のクラス会「古希の宴」
にも療養が長引いているため参加することができませんでした。


幹事さん宛に不参加の旨、ハガキを投函しました。


『クラス会のご案内を頂き、ありがとうございました。
最後のクラス会にはぜひ出席したかったのですが、あいにくと療養中のため参加できません。
加齢とともに人恋しさが募るもので、今回でクラス会が最後かと思いますと一層寂しさが増します。
しかしながら、永年幹事をやっている方々のご苦労を思いますと、いつまでというわけにもいきません。
永年にわたり、大変お世話になりありがとうございました。
ご盛会をお祈りいたしますとともにいつもでもお元気で。皆様によろしくお伝えください。

    平成23年9月』


10月25日。
クラス会の代表幹事のSさんから[「古希の宴」クラス会]という小冊子が送られてきました。
小冊子とともに「送り状」と「最後のクラス会」に参加した級友の集合写真が同封されていました。
Sさんの心のこもった送り状と小冊子です。


『10月に入り、めっきり秋らしくなってきました。その後、お変わりありませんか?お元気でしょうか?
北海道では、初冠雪を記録した山もあり、朝夕はストーブの温もりが必要な時期となりました。

先日、[古希]を迎えた節目にクラス会を開催しました。
初めて参加された級友も歓談の輪の中へ・・・。
お陰様で、半世紀の、あの青春時代に戻り、大変楽しいひとときを過ごすことができました。
皆さん、上手に歳を重ね、気品に満ちていました。今回お逢い出来ず残念です。
当日参加された級友との記念写真と、手作り小冊子をお送りします。
残りの人生も健康で、楽しい日々の連続でありたいと思います。何時何時までもお元気で・・。
                            平成23年10月吉日  代表幹事  S 』


               [送られてきた「送り状」と「小冊子」] 
   


小冊子には高校時代の思い出がたくさん掲載されていました。
過去に行われたクラス会の参加者、写真なども掲載されています。
Sさんの手作りです。「高校の校歌」から始まり、「小樽運河の写真」まで42ページにもなる冊子です。
暫し、時間の経つのを忘れ小冊子を読みふけっていました。
不参加者にも、Sさんの暖かいご配慮が小冊子と共に届きました。
最初から最後までお世話になったSさんを級友にもったことを僕は幸せだったと思っています。


小冊子の最後のページに掲載された「お礼の言葉」

『小樽○○高校卒業して、50年の月日が過ぎてしまいました。
多感な高校時代をクラスで共にした縁は、あの「麦笛節」(校歌)と共に、
ことのほか懐かしく思い出されます。
残りの人生が時間刻みに早くなり、あの頃に戻れない現実に直面し、
「古希」を最後のクラス会として開催し、元気に集うことが出来て、とても嬉しく感謝で一杯です。
また、ここまでクラスの仲間の協力があって、クラス会を開催し続けてこられた事に心からお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

生身の体です。何十年も働き酷使すれば、あちこち傷んできます。
だれしも、何かの持病に悩まされもします。上手に付き合い仲良くしていくほかありません。

最後に、世界的に著名なスイスの大思想家ヒルティの言葉を贈ります。
「人生は、老境においてますます美しく、崇高なものになることが可能であり、またなるべきである」と。

真っ赤に燃え輝く、荘厳なる夕焼けを見ると、満足と喜びが胸にあふれてきます。

いつまでもお元気で。残りの人生も幸多かれと祈りつつ・・・。
                            平成23年10月23日
                                    幹事一同』

「Sさん宛のお礼状」


『前略 当地もやっと秋らしくなり、朝方は寒くなってきました。
と言っても道産子は半袖で過ごせる気候ですが、こちらに来てから半世紀にもなりますから
すっかり千葉県の体質になり、ちょっとした寒さにも敏感になってしまいました。
このたびの最後のクラス会に参加出来ず、本当に残念に思っておりましたところ
「古希の宴」クラス会の小冊子が送られてきて、慰められました。
ありがとうございました。
Sさんの心のこもった小冊子。時間の経つのを忘れしばらく読みふけっていました。
永年に亘ってクラス会の思い出をよくぞまとめて頂いたと感謝するばかりです。
「古希の宴」に参加された級友もいつもと同じお元気のようでうれしく思います。
我人生の思い出の一つとして大切にしたいと思っております。
長い間、本当にお世話になりありがとうございました。小冊子の「お礼の言葉」の文末「いつまでもお元気で。
残りの人生も幸多かれと祈りつつ・・・」が心に残ります。
Sさんもいつまでもお元気で。

                                            草々 
                                       平成23年10月29日』

小冊子の中に物故者名簿がありました。
担任のY先生。I君ほか4名の名前がありました。
僕は物故者とつかの間の対面をしました。
この世で永遠に会うことができない先生と級友たちです。


クラス会はなくなったけれど、生きていればいつかどこかで会うことが出来ます。
「いつまでもお元気で。残りの人生も幸多かれと祈りつつ、再会を楽しみに生きていきます」。



[クラス会関連]
id:h-kawa0619:20060512(また、どこかで逢おうね)
id:h-kawa0619:20061002(クラス会)