新聞配達

h-kawa06192006-02-07

今日の天気 曇り夕方晴れ。


風が出てきました。天気予報では昨夜は雪、そして今日は3月下旬の気温になると言ってましたので暖かくなるのをボケッと待っていたのですが、相変わらず冷たい空気が吹いています。
もう少しで午後5時。日が長くなりましたね。
でも、5時を過ぎるとアッという間に太陽は水平線のかなたに消えてしまいます。
午前中は雲に隠れて何をしていたのかわかりませんが、夕方、チョッと顔を出しました。
そして「今日も疲れた」と言わんばかりに、さっさと水平線の向こうに顔を引っ込めようとしています。暖かくなるのを待っていた僕も疲れた。「又、明日ね、お疲れ様でした」。


毎朝、午前3時から3時半頃、新聞の朝刊が配達されます。オートバイに乗ってきますのでその音で目が覚める時があります。新聞受けの音がします。そしてオートバイの音は遠ざかっていきます。その音を暖かい布団の中で夢うつつで聞いている時が殆どですが、今の寒い季節そして雨が降っている時は、大変ご苦労が多い仕事だと思います。オートバイでの配達ですから寒さは一段と身にしみるはずです。
心の中で「ご苦労様でした」と思いながら又寝てしまいます。


中学1年生と2年生の時、新聞配達をやっていました。今思いますと良く続いたと思っています。
初めは夕刊配達です。学校が終ってしばらく経ってから新聞販売所に出かけます。
午後4時頃です。夕刊配るのに2時間かかります。この夕刊配達は1年ほど続きました。
この間、学校の宿題はやったかどうかは忘れました。先生から叱られた記憶がありませんから多分やっていたとは思います。家で勉強した記憶もありません。


そのうち、だんだん慣れてきましたので朝刊を配達をするようになりました。
その当時、北海道では「北海道新聞」そして「北海タイムス」2紙で、それぞれ販売所がありました。東京で発刊される新聞は一日遅れで配達されますので、上の2紙が殆どです。
その販売所の一つで配達をしたのですが、配達料は月300円。
今、この配達料はプッと笑っちゃいそうなわずかなお金ですが、当時は子供としては破格な金額でした。


冬の配達は大変でした。住んでいるところの地勢は山です。当然配達区域は山の頂上まで行くことになります。
起きるの午前4時。辛かった。暖かい布団から抜け出すのに時間がかかります。部屋の中でも零下の温度です。「エイヤッ」と気合を入れて起きます。
吹雪の時は最悪でした。朝早いので誰も歩いていません。道も雪で埋まっています。
今日配る新聞を受け取り、配達に出かけます。
かじかんだ手で、新聞を各家の戸の隙間に入れて行きます。新聞受け箱なんて洒落たものはありません。山の上に行くに従って道はますます分らなくなっていきます。
これから配る家の電灯を目標に歩いていきます。時には吹き溜まりがあってそれを乗り越えていきます。新聞を汚してはいけませんので、頭上にかかけながら吹き溜まりを歩きます。
こんな日は毎朝続きました。


冬の配達は辛いものでしたが、でも、特に寒い朝、パン屋さんからパンを買って食べるのが楽しみでした。当時、アンパンは10円でした。パン屋さんも朝から仕事をしていて出来立ての暖かいパンはいつも湯気が立っていました。
初雪の頃は、配達をしている友達と雪を踏みしめて絵を描いたり、好きな人の名前を書いたりして笑いあったこともありました。


毎朝、5時頃に起きます。そして一番、新聞を取りに外に出ます。新聞は新聞受けにちゃんと入っています。
今朝も寒いなぁと身震いを二三度して家に入ります。
新聞を1時間ほどかけて読みます。暖かいコーヒーを飲みながら。
一日が始まります。