この猫の特徴は、可愛げのないところです。人間が一所懸命呼んでも見ぬふりをして近づいて行きません。人間が近づいても寝た振りをします。寝相もご覧の通りで、元の飼い主の寝相をマネしているのではないかと思っています。餌をやっても一言「ニァオ」と言ったきり寝てしまいます。「ありがとう」とは聞こえなくて「ご苦労さん」と事務的に聞こえてきます。体をなでても目をつむったままで尻尾を二三回振るだけです。これも「ハイ、ご苦労さん。もういいからあっちに行ってよ」と言われているようで、なんかすっきりしません。でも、憎めない猫です。

















今年のお正月「ふてぶてしい猫」と一緒に過ごそうと、我が家ではご馳走の「目刺し」を焼いて持って行ったのですが見当たらず、今は寒いからどこかの家の床下で一匹寂しく過ごしているんだろうなぁ思ったのも一瞬のこと、猫のことをすっかり忘れてしまいました。


そして、今年二回目に思い出したのが孫の野球の応援に行って、グランドで舞い上がる土埃を見た時です。
何故、土埃を見て猫を思い出したのか分かりませんが、教養が邪魔をして頭の隅にあった「風が吹くと桶屋が儲かる」という常套句を思いださせてくれたのかも知れません。


エ〜と。この内容はたしか
風が吹く→舗装していない道路に埃が立つ→埃が目に入り目を患う→目を患うと外出ができなくなり、室内で邦楽を楽しむ→邦楽には三味線を使う→三味線の皮は猫の皮を使う
→そんなことで猫がいなくなる→猫がいなくなるとネズミが増える→ネズミは桶をかじる
→桶の修繕を桶屋に頼む→桶屋が儲かる
やっぱり、土埃と猫は関係していますから、それで土埃を見て猫を思い出したのです。
さらに関連して次のことが思い浮かびます。
土埃→猫ときたら次は「三味線」。いやいやそんなことはあるまいと脳みそが否定しました。
あのふてぶてしい猫は人間の年齢にすると還暦をとうに過ぎて、僕と同じ年頃。
お肌の曲がり角の年齢もとっくに過ぎてカサカサのお肌。加齢とともにあちこちが痒くなっているお肌が三味線の材料になるはずはありません。
三味線屋さんも痒くなってしまいます。


季節は初夏、そろそろ床下から出てきて明るい太陽の下で過ごしませんか。