汽車

さて、話はかわりまして
今年の2月から4月に展開される「ちばディストネーションキャンペーン」。
そのキャンペーンの一つとして、2月1日にJR内房線の千葉駅から木更津駅まで臨時列車が運転されます。
「SLちばDC号」の12系6両編成。出発時刻は千葉駅発12:46 木更津駅には14:01です。
鉄道ファンにとっては、涙がでるほどうれしいことで、内房線はこの話題で盛り上がっています。
今から撮影ポイントをどこにするか悩んでいる人もいるのではないかと思っています。
臨時列車の運転は、千葉駅・木更津駅間だけではなく、木更津駅から館山駅そして館山駅から安房鴨川駅勝浦駅間も運転され、房総半島を一周するようです。
先日、試運転で、わが町の駅を通過していきましたが、汽車の煙をみて懐かしさがこみ上げてきました。


昭和35年4月、就職のため上京しました。
東京まで20数時間の汽車の旅が始まります。見送りは母親、そして兄弟でした。父親は見送りは寂しいからと言って来ませんでした。4月だというのにプラットホームにはまだ雪が残っていて、寒い日でした。
我が家の前は函館本線が通っています。上りは急勾配になっていて、汽車がそこを通るときは黒い煙をモクモクと吐き出し、喘ぎ、喘ぎ通り過ぎていきました。
汽車が来るといつも我が家の窓を閉めたものです。
僕が乗っている汽車も同じように煙をモクモク吐き出して我が家の前を通り過ぎました。
冬の季節は窓は閉めたままで、汽車が通るたびに閉める必要はなくなっていたのですが、汽車から我が家を見たとき、窓は開いていました。
父親の姿を探したのですが、見ることは出来ませんでした。多分、窓の陰で汽車を見送っていたのかも知れません。


函館で連絡線に乗り換え、青森から再び汽車に乗りました。
20数時間の時間は長く、退屈な時間でした。こんなに時間がかかるんじゃ田舎には滅多に帰ることは出来ないと思いました。飛行機でということもありましたが、運賃が高くて利用することは考えられませんでした。
上野駅に着いたとき、頭髪は汽車の煤煙で汚れ、櫛が通らないほどでした。トンネルを通過するたびに窓を閉めてきたのですが、長い間に煤けていたのです。
就職先の寮で洗髪した時、真っ黒なお湯が頭から流れでてきたときは本当にびっくりしました。


内房線に汽車が走り、煙の匂いを嗅いだとき、また思い出すだろうと思っています。