記憶の入れ物

白梅

今日の天気 曇りのち雨。


午後、予報どおり雨となってしまいました。ここ二三日すっきりしない天気が続いています。どうも頭の中もその天気の影響なのかすっきりしません。


「思い出したわ、百舌よ。百舌」。公園を歩いていた時、家内が急に思い出したように言いました。
「Oh My God」。つい、日常使っている日本語のほかに英語が僕の口から漏れます。
心配していたことが家内に起きようとしているのです。公園を今まで無言で、汗水を流しながら歩いている時に、急に現在のこととは全く関係のない言葉が発せられれば誰だってびっくりします。いよいよ心配していたボケが始まったかと思いました。
天気は曇り。こんな曇りの時は体の内部に潜んでいた病が表面に出てくるものです。


それにしてもボケるにはいろいろと前兆がなくてはなりません。その前兆がありませんでしたのでボケではなく何かあるなと考えました。
そこで思い出したのが、三日前の出来事です。
我家の庭にメジロが飛んできますので、ミカンを半分に切ってそれを枝に差し、餌としてやっています。そんなところにムクドリが飛んできて邪魔をします。
その時にでた話題が「虫やカエルなどを木の枝に突きさす習性を持っている鳥」何という鳥だったけ。というもので「エーと。エーと」と二人で思い出そうとしたのですが、その日は長い時間を費やしたわりには思い出すことが出来ませんでした。


人間の記憶ってどんな仕組みになっているのでしょうか。
頭脳の中に記憶を入れておく入れ物があって、その中にドンドン記憶を入れていきます。
で、その入れ物の大きさは個人差がありますが、大体40歳の後半くらいになるとこの入れ物が一杯になるんだと思います。ですから、40歳の後半になると見聞きした記憶はこの入れ物には入らず上に方にチョコっと乗っかっているだけです。この記憶は歩くたびにその入れ物から落ちます。時々、歩いているとき「ドサッ」という音が聞こえてくることはありませんか。近頃見聞きしたものが纏めて記憶から消え去った音なのです。錯覚ではありません。


40歳中頃までの記憶は入れ物に入っていますので、すぐ思い出すことが出来ます。
記憶が古いものほど(若い時の記憶)鮮明に残っています。その証拠に小学生、中学生の先生の名前を思い出すことが出来ますし、仲良しの友人の名前もフルネームで言うことが出来ます。


「百舌(もず)」という鳥の名前を知ったのは、僕の上のような仮説から言いますと40歳後半のようです。思い出すまで3日かかりました。でもラッキーです。本来ならば40歳後半からの記憶は残らないのですが、何回も同じことが出てきたり、衝撃的な記憶は40歳後半からでも残るようです。


家内に注意しておきました。お互いに労りあいながら、そして補完しあいながら人生を送っているのですから、直接的で一方的な言い方は心臓に悪いからです。
「三日前の話で、分らなかった鳥の名前、思い出したわ。百舌よ。百舌」と言って欲しかったですね。
この件、すぐ忘れてしまいます。記憶の入れ物はすでに一杯ですから、なんてことない話題はすぐ消去されます。