故郷

上歌「炭住街の跡」

今日の天気 曇り。


一日曇っていました。涼しく秋の気配です。


インターネットで「北海道 歌志内市」と検索しました。この地名は僕が生まれたところで炭鉱の町です。すぐページが表示されました。インターネットって凄く便利ですね。
現在の人口は5,400人余。世帯数は2,700余。日本一、人口が少ない「市」と新聞で読んだことがあります。


戦後の昭和23年。人口は4万6千人の一大炭鉱都市でした。その頃に小学校に入学したのですが、子供たちの数が多くて、小学校では午前と午後に分けて学年別に授業をしていました。
山の上のほうまで5軒長屋が建っています。町は賑やかでした。楽しみは映画を見ることでした。入場券は2円99銭。


小学生4年生になった頃、自分たちが住んでいる近くに小学校が出来ました。「歌志内町立上歌小学校」です。この小学校に沢山の子供たちが来ることになりました。
この小学校の校庭で毎年盆踊りが開催されました。老若男女、全員が仮装して踊ります。盆踊りは3日間続きました。
夏は「空知川」まで泳ぎに行きました。歩いて1時間かかります。


新しい会館が出来ました。でも、この会館で映画をみることはありませんでした。出来て間もなく転校しました。この会館は昭和59年 テレビで放映された倉本 聡氏脚本「昨日、悲別で」で有名になり「悲別 ロマン座」として今も残っています。


今、この町を自動車で通りますとアッという間に通り過ぎてしまいます。
山には大木が茂っています。炭住街の面影は何もありません。この町が一大炭鉱都市であったとは外部の人には想像がつきません。「上歌小学校」はすでに廃校になっています。
この町に差し掛かった時「熊が出ます」と看板が強烈な印象として残りました。
人口は今でも減少しているとの事です。


昔に戻ることが出来たらこの町での小学生時代に戻ってみたい。
みんなが貧乏だったけど、楽しかった。贅沢な暮らしがあることなんか知らなかった良き時代でした。映画、ラジオ。そして友達と夜遅くまで遊ぶことが唯一の楽しみだったような気がします。