[初めに]
『「肺がん」の疑いがありますね』と医師から告げられたのは、今年5月の初めでした。
その時、せっかちな家内が真っ青な顔をして医師に尋ねました。
「主人の余命はいつまでですか」。
医師は落ち着いて答えました。
「ハイ、ご主人様の余命は神様しかご存じありません」。



[胸の痛み]
今年の初め、胸に痛みを感じ60数年間働き続けている「心臓」が、そろそろ潤滑油が切れて軋みだしたのか、それとも心臓から余り働きすぎたので「お休暇を頂戴したいのですけど」と言われる前ぶれじゃないかと思いましたがそっとしておきました。
2月に入ってすぐ、「人間ドック」を受診することになっていたからです。
2月の初めに人間ドックを受けました。その際胸の痛みの原因がわかるのではないかと思いましたが、「心臓」には2本の毛が生えていた程度で全く問題がないことが分かりました。人間ドックでは心臓の痛みの原因は分かりませんでした。


この人間ドックの結果をいつもお世話になっている病院に持参し,レントゲン、CTなどで診察してもらったのですが、ここでも原因は分かりませんでした。
胸の痛みは、まっすぐ立っている時には感じなく、横のなるとすぐ出てくるのです。その痛みは何かに圧迫されているようなもので神経的な痛みです。
夜はその痛みでなかなか寝付かれない状態が続いていました。
それでも、朝方になるとその痛みは和らぎます。
そんなことで鎮痛剤を服用してしばらく様子を見ることになりました。
しかし、鎮痛剤を服用しても一時的には痛みは和らぎますが、毎日のようにその痛みがでてきます。


[声のかすれ]
4月になり、声がかすれることに気がつきました。
初めは風邪を引いて声がかすれてきたのだと思ったのですが、風邪の症状はなく、心臓と同じく、60数年間も声帯を使っているので声帯の一部が壊れたのではないかと心配になり、胸の痛みと声のかすれを診てもらおうといつもの病院とは別の病院に行きました。


まず、耳鼻科。
「声帯はきれいで、全く問題がありません。原因は声帯の使いすぎでしょう。カラオケのやりすぎじゃないでしょうか」なんて、さも見たようなことを医師が言いました。
「カラオケは1年前に唄っただけで、今では滅多に唄うことはありません。ちなみに僕の十八番はフランク永井の「有楽町で逢いましょう」です。フランク永井のあの低音の魅力、しびれてしまいます。僕がマイクを持つと「ヨッ、待っていました。フランク永井」なんて声がかかったものです。僕は皆の期待に応えるようにフランク永井に劣らない美声を惜しみなく発揮して唄ったものです。それが今では「鼻声」の持ち主になってしまいました。ところでフランク永井って知っていますか。今度「美声」が戻ったら聞かせてあげますね」。と、若い医師に言いました。

「ま、しばらく声帯を休めることです。無言、これを貫きとおしてください。なぜ、しゃべらないんだと言われたら、医者から話すことを止められていますのでとおっしゃってください」なんて、無責任なことを言いました。
病院から帰ってからの最初の話相手は家内でした。「どうだった」と家内が聞きました。「・・・・。」僕は無言を貫きとおしました。さて、その結果は。
しばらくふたりとも一触即発の状態で「無言」が続きました。


[胸部に影]
さて、もう一方の内科。
「CTの結果、肺に影が映っています。大きさは約3センチくらいです。次回はその影をはっきりさせるために造影剤を使用してCTを撮ります。それから採血もやります」と何となく深刻な雰囲気で医師は言いました。
次回の予約を済ませ、帰ってきました。4月下旬のことです。



次回の診断前に担当医師から電話がかかってきました。直接、医師から電話がかかってくるのは珍しいことで、余り良い知らせではないようです。
「先日、採血した血液のCEA値(腫瘍マーカー)が異常に高く、早目に造影剤によるCTを実施します」との連絡でした。
CEA値が高いということは悪性の腫瘍ができているということです。
第1回目のショックでした。


造影剤によるCTが終わり、その結果が医師から告げられました。
『「肺がん」の疑いがありますね』。5月9日のことです。
「腫瘍ができているのは動脈が流れている近くで、手術するには難しいところにできています。大きな病院をご紹介しますので、早目に診察を受けてください」
第2回目のショックです。


[失神]
翌日、昼食を食べている最中に気を失ってしまいました。
60数年間生きてきて初めてのことです。
60数年も生きていると何かと出てくるものですね。
気を取り戻した時、最初に目にしたのが家内の顔で、家内の顔を間近に見て、また気を失いそうになりましたが「オトウサン、オトウサン」という声で意識がはっきりしました。
気を失っていた時間は数分間のようでしたが、家内の驚きの心境を思いますと2度も気を失ってはと思い、しっかり目を開きました。
気を失うことってあるのですね。倒れた時のことはまったく記憶がありません。家内が横にいましたから必死になって押さえてくれたようです。
意識を取り戻した時、なんで自分が家内から呼ばれているのか分からず、ただ、夢でもみているような気分でした。
第3回目のショックです。
失神した原因が造影剤とどう関係しているのか分かりません。


[検査結果]
千葉県鴨川市。観光都市です。海岸線に沿ったところに病院があります。
総合病院です。僕が住んでいるところから自動車で1時間20分ほどかかります。


[病院]















[病室から]

   













       
検査が始まりました。1週間に一度通院することになりました。
CT・レントゲン・PET・MRI・喀痰検査・気管支鏡検査・けい皮肺針生検などに約1カ月を費やしました。その間、検査入院は三日間でした。
腫瘍が動脈の近くにできているということもあり、細胞を採取するには細心の注意が必要でありましたが、無事、終わりました。
そして、その検査の結果が「肺がん」でした。
結果が出る前に医師から『「肺がん」であることはほぼ間違いありませんが、細胞を取って細胞病理組織診断をしてみないと結論づけられません。肺がんであった場合、本人に告知してよろしいですか』と言われ。「はい」と答えていたものです。
肺がんのレベルは「3」でした。早期発見ではないため、良くもなく、悪くもないというレベルのようです
第4回目のショックです。


[入院]
「肺がん」と診断されてから四日後の6月29日入院しました。


[「肺がん」について]
さて、ここで「肺がん」について少し勉強してみました。
(原因)
人間が「がん」にかかる原因は大きく4つあります。
一つ目はタバコに含まれているような発がん性物質
二つ目は放射線
三つ目は遺伝的感受性
四つ目はウイルス  です。
「肺がん」にかかる最大の原因は一つ目のタバコに含まれているような発がん物質の摂取によるもので、特に喫煙です。
喫煙をやめたからと言って安心はできません。喫煙は過去に喫煙をしていた人も含まれていて50歳代にもっとも多く発生しています。
そして、男性は全がん死の中で肺がん死が最も多く、女性の場合は大腸がん・胃がんに次いで3番目を占めています。


☞ 僕は3年前に禁煙しました。喫煙歴は45年間。1日20本。タバコを止めて3年たったと喜んでいた矢先だったのですが。

(症状)
一般的な症状としては、血痰・慢性的な激しい咳・喘息のような呼吸・胸痛・原因不明な体重減少・食欲不振・息切れなどですが、進行するまでは無症状であることが多いようです。


☞僕の場合は胸痛です。ずっと長く続きました。60歳代の場合、上記の一つでも該当することがあれば、診察を受けることをお勧めします。病院は最初から設備の揃った大きな総合病院が良いと思います。肺がんの種類によっては進行の早い癌もあります。

(治療)
肺がんの治療はそのがんの進行状況と患者の年齢に関係してくるようで、一般的な治療方法としては、外科手術と化学療法そして放射線療法です。


☞僕の場合は、がんの腫瘍が動脈の近くにできているので手術は危険ということで、化学療法そして放射線療法を受けることになりました。

入院二日目に化学療法(抗がん剤点滴)
 シスプラチンを用いた二剤併用化学療法であり、併用される抗がん剤としてドセタキセルを使用。
その他吐き気止めなどの薬剤とあわせ、点滴に12時間かかりました。
翌日は抗がん剤の薬剤以外の点滴で8時間。で一応第一段階の化学療法を終了しました。その後の様子を見て、3週間後には第二段階の化学療法を実施する予定になっています。
次いで翌日から放射線療法です。
体のどの部分に放射線を投射するのか、その位置を決め、体に線を引きます。
上半身裸になり診察台の上にうつ伏せになり、腕を頭の方にあげ万歳をした格好で、下、左、上、右の順序で投射していきます。所要時間は10分もかかりせん。体には何も刺激もなく、ただ、音のみが響いているだけです。
30回投射することになりました。1回の放射線を放射したからといってすぐに腫瘍が小さくなるというものではなく、時間をかけて少しずつ、少しずつ小さくしていくようです。
[続く]
id:h-kawa0619:20090903(肺がん闘病記 その2)
id:h-kawa0619:20090904(肺がん闘病記 その3)
id:h-kawa0619:20091117(肺がん闘病記 その4)



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